サイトマップ 掲示板 浦野家の歴史と系譜

                       

当家親族の発見

■戸籍に残された記述
 そんな中、先祖の戸籍を眺めていると、書類を入手した当初からずっと気になっていたある事実に気がつきました。

 私の高祖父の弟にあたる「浦野立三」(天保12年生まれ)に関する記述だけは、どういうわけか出生日以外何の情報も記されていないのです。その後、浦野家は狼煙から函館へ転籍し、函館の戸籍にも、まだ「立三」の名前はありましたが、ここでも「立三」は出生日以外の情報がありません。ただ1行こう書かれているのです(右図参照)。

年月日時及び場所不詳死亡
昭和33年3月5日附許可を得て同月11日除籍

 これは行方不明者の記述です。

 さらに、「みやこわが町」によると、浦野大蔵は明治26年に53歳で金浜でニコライと再会していたことから、こちらも天保12年生まれだと考えられます。このことから、私は「立三」と「大蔵」は同一人物なのではないかと不意に思ったのです。両者とも明治初期に函館にいるなど接点が多いです。

 平成17年5月12日、浦野大蔵の子孫の方からお返事がありました。残念ながら、「與平次」や「立三」という名前については聞いたことがないが、昔、戸籍で調べたことはあるので大蔵の子孫であることは間違いないということでした。
 そこで、私はもう一度その戸籍を確認していただき、出生日、出身地、兄弟構成などを差し支えなければ教えていただけないかとお願いしてみました。


■狼煙村の浦野立三
 そして平成17年5月15日、浦野大蔵の子孫の方から電話がありました。お返事は、

「浦野大蔵」という名前は通称であり、戸籍上の名前は、なんと「立三」である

ということでした。天保12年生まれで、出身地はやはり「石川縣珠洲郡狼煙村」とあるそうです。さらに、立三(大蔵)の父には後妻がいたという話も聞いたことがあるそうですが、與平次と立三の父には確かに後妻もいます。

 しかし、若干私の調査と食い違う点もありました。「立三」の出生はどちらも天保12年なのですが、月日が異なっていること、父親の名前が「與平次」ではなく、「柳齊」という名らしいことなどです。但し、この浦野大蔵氏の御子孫の方は市役所にお勤めの方ということで、戸籍課に問い合わせたところ、明治最初の戸籍は本人の自己申告制で作られたらしいので、どちらかの戸籍が曖昧に申告されたものかもしれません。決定的な確証を得るために、何とか與平次・立三兄弟の父の俗称を確かめたいところです。

※追加情報
平成17年6月11日、等覺寺の過去帳に記載された当家先祖の記録の中で、古文書に見られる「くずし字」を用いて、「与平次柳齊」という名前が書かれていたことが分かりました。また、時系列で整理した結果、柳齊は與平次・立三兄弟の父であることも分かりました。詳しくはこちら


<参考文献>


                       

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