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等覚寺と覚宝寺 |
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■等覚寺 浄土真宗東本願寺(真宗大谷)派 等覚寺は真宗大谷派に属し、金石山と称する珠洲市川浦町にある寺院です。元来は永久2年に天台宗の末学伝善という者が、当地に一宇を建立して等覚院と名づけたのが始まりとされています。その後、第13世願了に至って、本願寺の蓮如に帰依し、法名を了善と改め、大永7年4月に更に堂宇を建立したと云われています(等覚寺縁起・貞亭書上帳・文化書上帳・寺院明細帳)。 特に等覚寺緑起にはこの経緯が詳しく述べられています。第13世願了という僧は、信證院蓮如上人が北国御下向のときに一坐の説法を聴聞したことにより、改宗して御弟子となり、法名を了善と賜ったとあります。 また、等覚寺の現堂宇は文化7年(1810)に建立されているのですが、当時、海辺にあった本堂の境内が海浸したことから現在の位置に移転したそうです。尚、本堂再建にあたっては檀家となっている住民から寄付を募った記録が等覚寺には残されています(御堂再建檀那志帳)。
■覚宝寺 浄土真宗東本願寺(真宗大谷)派 覚宝寺は真宗大谷派に属し、等覚寺と同じく珠洲市川浦町にある寺院です。その由緒は宝暦2年(1752)の創始でありますが、明治初年に山崩れのために家屋が埋没してしまい、書類等が紛失し、由緒は定かではありません。尚、この当時の住職であった法専の長男・顕成は北海道礼文島に礼香寺を創建しています。
<参考文献>
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