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藤原氏秀郷流・戸村氏
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■那珂氏族戸村氏
下野押領史藤原秀郷の来孫・藤原通直の子通資は、那珂太郎と名乗って、那珂氏の祖として常陸国の那珂川北岸の那珂郷を領有して起こりました。通資の孫通兼の長男・通泰が那珂宗家の嫡子となり、次男の能通が那珂郡戸村に居を構え、戸村小三郎と名乗りました。これが藤原氏秀郷流の戸村氏の始まりとなりました。
戸村能通の子も小三郎と称して、承久の乱では北条泰時に従って、宇治の渡河戦で敵2人を斬るなど高名を謳われました。また、佐竹系図によると、佐竹氏四代秀義の母は戸村小三郎能通の娘とあります。
那珂戸村氏は、南北朝争乱の時期に、南朝側に付いて瓜連合戦など各地に戦ったのですが、居城は焼打ちされ破れ、建武3年(1336)に一族は滅亡してしまいました。後に、寛正元年(1460)、佐竹氏十三代義仁の三男義倭が戸村城を再興して、戸村氏を称することになります。
<参考文献>
- 姓氏家系大辞典 第二巻 (角川書店)
- 系図纂要 第十一冊 (平文社)
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