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川浦村

 川浦村は狼煙村の西にある浦方の村で、現在の珠洲市川浦町で、外浦街道が通っています。河浦村と呼ばれることもありますが、戦国時代後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)には「川」とあり、長氏の庶流・長十郎の知行地でもありました。当地にある等覚寺の寛永元年(1624)下付の木仏裏書には「川浦村等覚寺」とあります。
 同16年の高屋組人別帳(高谷文書)では高持百姓12軒のうち7人家族1軒、6人は4軒、5人は3軒、4人は2軒などとなっていますが、内訳に誤記があるようです。正保郷帳では高68石余、田2町9反余・畑1町6反余とあり、寛文10年(1670)の村御印の草高90石、免4ツ4歩、新開高7石余、小物成は山役90匁(三箇国高物成帳)となっています。文政8年(1825)の組付覚帳(桜井文書)では百姓数24・頭振数7とあります。明治3年(1870)の奥郡塩釜数帳(多田文書)では23枚とあります。
 真宗大谷派の覚宝寺と等覚寺があり、等覚寺は大永7年(1527)に了善の開闢とされる。鎮守は八幡神社で、明治41年に折戸の日置神社に合祀されるが、昭和18年(1943)分離しました。


(石川県珠洲市川浦町)

<参考文献>
  • 石川県の地名 日本歴史地名大系17 (平凡社)
  • 日本地名大辞典17 石川県 (角川)


                       

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