サイトマップ 掲示板 浦野家の歴史と系譜

                       

浦野家の家紋

 実は、私の実家がある北海道の浦野一族は、これまで当家の家紋を知りませんでした。浦野家が北海道に移住して以来、いつしか家紋の伝承が途絶えてしまっていたのです。そして、先祖及び親族一同は、いつか浦野家の本当の家紋が戻ってくることを熱望していました。しかし、この調査によって、浦野立三が狼煙村時代の家紋を子孫に伝承していたおかげで、遂に家紋が判明したのです。

 宮古の浦野家の方から電話で話を伺ったところ、浦野家の家紋は「丸に剣方喰」ということでした。これは立三が狼煙村時代から伝えてきた浦野家の家紋であるそうです。
丸に剣方喰

 私の祖父である浦野亀次郎は、この浦野家の家紋が分からなかったために、便宜上「丸に木瓜」を家紋として使うことに決め、亀次郎の子孫一同はこれまでこれを家紋として扱っていました。しかし、祖父は生前、父やその兄弟に「この紋は浦野家の本当の家紋ではない」ということを話していたそうです。



 平成17年5月に、私の父が仕事で函館に行く機会がありました。函館には祖父の兄である浦野朔郎の子孫の方がおります。そこで、父に頼んで、函館の浦野家を訪問して、家紋の伝承について伺ってきてもらいました。

 やはり函館の浦野家も同様に、本当の家紋は分からなかったと伝えられているとのことでした。しかし、そこで父に曾祖父のお墓参りをしたときの墓石の写真を撮ってきてもらったのですが、墓石に彫られていた浦野家の家紋はなんと「丸に剣方喰」だったのです(右の写真)。これは偶然でしょうか。

 家紋についての話を聞くと、有力な情報を入手できました。かつて、朔郎の子孫の方が子供だった頃、朔郎と亀次郎の生前に、2人が函館で当家の家紋について話し合っていたのを覚えていたのです。そのときの2人の会話は、「浦野家の家紋はこうだったと思う」や「いや、それは違う。こうだった気がする」といったものだったそうです。

 これは非常に重要な情報です。まず、この会話から察するに2人は少なくとも浦野家の本当の家紋を見たことがあると考えられます。また同時に、2人は新しく家紋を作るのではなく、浦野家の家紋を何とか伝承し続けようとしていた様子が窺えます。
曾祖父の墓

 結果的に朔郎が使った家紋は大正解だったのです。それでは何故、祖父は朔郎と同じ家紋を使わなかったのでしょう。2人は一緒に家紋を思い出そうとしていたのです。後に祖父は父を初めとする子孫に対して、「丸に木瓜は浦野家の本当の家紋ではない」と言っていることから、祖父自身も当家の本当の家紋を知りたかったはずです。父の話では、家紋が分からない以上、とりあえず便宜上使える家紋として、できるだけ一般的な紋を使おうとして、祖父は「丸に木瓜」に決めたということでした。現に祖父は、「丸に木瓜」紋が当家の家紋ではないと断定していることから、この話は本当かもしれません。

 ともあれ祖父の代からの熱望していた当家の家紋を遂に知ることができました。それも立三が子孫に浦野家の家紋をしっかりと伝承していたからこそであります。宮古市在住の浦野様とはお互いに持っている資料を送り、今後も情報交換を進めていくことになりました。
 ちなみに、この「丸に剣方喰」紋の多くは、石川、富山、福井県など北陸地方を中心に分布しています。能登出身である当家がこの家紋であることにも納得できます。


<参考文献>
  • 姓氏紋章お国めぐり (丹羽基二氏著/秋田書店刊)


                       

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