サイトマップ 掲示板 浦野家の歴史と系譜

                       

土地台帳の記録

■本籍地と現住所の照合
 5月6日(金)は連休中日で平日のため、午前中から珠洲市役所へ向かいました。明治時代から現在に至るまでには、 区画整理などで番地区分が歴史的に変わっていることがあります。そこで、当家の本籍地に該当する場所が具体的に どこにあったのかを調べたかったのです。税務課の方2人で調べていただき、10分くらい待ってから番地の区分が描かれた 地図を持って窓口へ戻ってきました。そして、少し首を傾げながらこう言いました。
 「その住所に当たる場所は今も昔も見当たりませんねえ。あるとすればこの辺でしょうか・・・。

 この事態は全く想定していませんでした。地図をどんなに注意深く見ても、本籍地に該当する番地が存在しないのです。 番地は通し番号になっていて、基本的には数字が飛んだりしていません。しかし、 與平次の住所にあたる番地の1つ前および1つ後の番地はあるのに、どういうわけか当家の番地だけが忽然と存在しないのです。 しかも、普通ならば仮にそのような状態であっても、前後の番地から、その中間の場所として予測できそうですが、 実際は與平次の本籍地にあたる番地をはさんで、前の番地帯と後の番地帯で地区が分離されているのです。 従って、前後の番地にあたる場所がお互いに遠く離れているため、中間の場所すら特定できませんでした。これは一体どういうことなのでしょう。 その図面自体は昭和51年に作られたものなので、浦野家が暮らしていた明治時代のものではありませんが、税務課の方に聞くと、 この地域一帯の番地区分は昔から全く変更されていないということでした。
 結局、浦野家が実際に代々暮らしていた場所までは特定することはできませんでしたが、 やはり狼煙町の横山地区のどこかであることは間違いなさそうです。


■旧土地台帳
 次に、同じ税務課で、狼煙地区の土地台帳と家屋台帳を閲覧させてもらいました。これらは法務局で管理されている台帳を書き写したもので、 明治時代からの土地の所有が記録されています。税務課の脇の机に案内されて、係の方が2冊の台帳を持ってきてくれました。 1冊の厚さは15cmにも及ぶでしょうか。小さな狼煙町の土地ですら、これだけの情報になることに驚きました。

 土地は基本的に消えることはありません。色々な事情で所有者が権利を捨てたとしても必ず誰かが相続したり、買収したりするからです。期待を胸に台帳を開くと、ズラリと並ぶ人の名前を見ることができ、その土地の歴史が刻まれていました。

 私は早速、浦野家の本籍地に該当する土地のページを探しました。そして、ついに まさしく本籍地と同じ住所が書かれている土地のページを見つけたのです。やはり、 この住所は実在していたのです。その事実が分かったことで少し安堵感を覚えました。しかし、 残念ながらそこに浦野家に関する記述はありませんでした。明治6年に最初の買収が行われていますが、前所有者、買得者ともに別人でした。依然、謎は残ります。

 いずれにせよ、浦野家の本籍地に該当する住所は実在していたのは事実です。また、この土地台帳に記載されている当家の本籍地と同じ住所の土地は、 買収や相続を繰り返しながら現在も所有者がいることになっています。番地区分の図面には載っていなくても、 土地所有者はいるということなので、きっとどこかにあるはずです。現地で確認するための参考資料として、 その土地に関する記述をノートに書き写しておきました。

 後で思い返せば、これで満足しなくて本当によかったと思っています。土地台帳はかなりの厚さがありましたが、 台帳を閉じる段になって、まだ可能性があるかもしれないと思い、私は土地台帳を最初から1枚1枚見てみることを決めました。 情報量が多いため、なかなか前へ進みませんでしたが、冊子半ばに差し掛かったところでしょうか、 突然、目を疑う記述を発見しました。ある住所、それも戸籍に記載されていた本籍地とは異なる番地に該当する土地の所有者に、 なんと「浦野與平次」とあるではありませんか。半分あきらめかけた気分でページをめくっていたところを 一気に目を覚めさせられました。上の写真はこの一部を撮影したものです。土地台帳にはその土地の使用目的(地目)などが書かれているのですが、 これを見てさらに驚きました。

 その記録は、浦野與平次が所有する墓地に関する記述だったのです。驚くべきは、 分筆や競売などで当初とは異なってきていますが、当家の墓地が浦野與平次の名義で現存していることです。 勿論、墓地用の土地ですから約1mほどの大きさでしかありませんが、ここに当家の墓石があるかもしれないという有力情報を 得ることができました。
 この情報を全て漏らさないようにノートに書き写し、その後は浦野家に関する記述を見つけることはできませんでしたが、 半日かけて台帳と向き合った甲斐がありました。「やっぱりここまで来てよかった。本当によかった。」


■狼煙町での調査開始
 5月6日の午後からは、河崎様にご紹介いただいた狼煙町在住の小坂様にお会いして、狼煙の歴史などについて直接お話を聞きました。 当家の本籍地をあらかじめ連絡したところ、ご親切にその近隣の方まで調べておいていただけました。また、 狼煙から数十世帯が明治時代に北海道に渡っていたということなど、歴史的なお話も聞くことができました。その後、小坂様と一緒に、 当家の本籍地と一番地違いの所にお住まいの方のお宅に伺いました。訪問先の方は偶然にも小坂様とは同級生ということで、 スムーズにお話しすることができました。しかし、やはり番地については詳しく分からないとのことでした。 こういった漁農村地帯での番地区分は必ずしも数字の順番通りに土地が並んでいなかったり、 そもそも番地によって土地の面積が大きく違っていたりすることもあるので、当然といえば当然でしょう。

 午前中に珠洲市役所で取得してきた番地区分の図面を出して、墓地の場所は分かった旨を説明しましたが、困ったことに、 その図面自体が狼煙町のどの部分に当たるのかが分からず、結局そこでは結論を出すことができませんでした。確かに、その図面は、 細かく番地区分を示してありますが、細かいが故に1つの図面での表示領域を小さく絞っているため、 あらかじめその図面を示している場所がどの辺りなのかを比較的広域の地図で確認しておく必要があるのです。
 小坂様を自宅までお送りした後で、土地の様子を見て周りました。夕方には、ようやく地図の示す場所の見当を付けることができましたが、 もう日が暮れかかっていたこともあり、調査は明日にすることにして、その日は飯田町に帰り、珠洲市立中央図書館で資料収集をすることにしました。


                       

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