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黒川良安

 黒川良安(文化14年(1817)2月4日生〜明治23年(1890)9月28日没)は、江戸時代末期の蘭学医、蘭学者であった人物です。 シーボルトや緒方洪庵に医学を学び、加賀藩医として金沢藩医学館(現在の金沢大学医学部)の基となる金沢種痘所を創るなど、北陸近代医学の祖となりました。佐久間象山に蘭学を教授したことでも知られています。

 黒川良安は越中新川郡黒川(富山県中新川郡上市町)に黒川玄竜の子として生まれました。家は代々豪農であったのですが、父は医師となり、文政11年父に従って長崎に留学し、シーボルトについて医術を学びました。良安はさらに同地で蘭学を学び、父母の帰国後も長崎に留まって吉雄権之助に蘭学を、シーボルトに医学を学び、天保7年帰国途中に緒方洪庵を知り指導を受けました。加賀藩老の青山将監に仕え、河野久太郎などの西洋兵術者とも交わりました。同12年に出府して坪井信政の日習堂で頭脳の解剖を行い、弘化元年には米沢藩の堀内素堂、萩藩の青水周弼とリシェランの生理学書を翻訳出版しました。また佐久間象山に蘭学を教え、自らは象山から漢学を学んでいます。同13年には加賀藩主前田斉泰の侍医となり金沢に定住し、嘉永元年に藩校壮猶館で蘭学教授、3年種痘に成功しました。慶応元年に種痘所設立に努力し頭取となり、明治3年に金沢医学館建設のため長崎を視察、同館教授に就任し、西洋医学の普及に貢献しました。74歳で他界し、墓碑は東京都港区の青山霊園にあります。


                       

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