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墓石の修復

 5月8日、いよいよ当家の墓石を修理します。朝、出発する段になって、小坂様がご親切に墓石の修復に手伝ってくださるという連絡を受け、私と妻と小坂様の3人で現地に向かいました。

 早速、3人で作業に取り掛かろうかとしたそのとき、突然、坂の下の方から「おーい!」という大きな声が聞こえてきました。 一瞬、狼煙町の住民でない我々がお墓を触っていたので、墓荒らしとでも思われてしまったのかと思いました (よくよく考えれば、小坂様がご同行して下さっていたので、その点は安心でした)。 しかし、その声の主はなんと民宿てらいのおばさんだったのです!ノコギリなどの重たそうな道具を持って、 自転車で来れるところまで来てから、歩いて坂を上って、ここまで来てくださったのです。 「私もそのお墓を見てみたかったから」なんて言っていましたが、私たちのためにわざわざ手伝いに来ていただいたのです。

 墓石に巻きついた蔓をほどいたり、倒木などの掃除から始めました(一番上の写真)。墓石についた苔はその年月を象徴するようにしぶとく、簡単には落ちませんでした。石を傷めないように何度も磨いて、少しずつ落としました。墓石だけでなく、土台の石も割れて、辺りに散らばっていたのですが、 まるでいつか直されるのを知っていたかのように、小さな破片まで余すところなく残っていました (上から2番目の写真:小さな破片もパズルのようにぴったり合いました)。

 周りの草を刈り、落ち葉や枯れ枝などを掃除して、墓石を起こす作業に入りました。石は意外に重く、やはり私たち2人ではとても持ち上げるのは無理でした。 墓石はちょうど施主や法名などが彫られている面が下向きになって倒れていたので、起こす前に墓石を回してみました。正面はかなり明瞭に文字が残っていたのに対して、側面は風化がかなり進んでいて、苔を落としても、残念ながら、 彫られた文字はあまり明瞭に残っていませんでした。唯一、「浦」という漢字が彫られていることだけ分かりました。 その他にも多くのことが書かれているのですが、判読することは非常に難しいです。 これから、じっくり解析してみたいと思います。尚、正面に彫られた文字は、やはり「南無阿弥陀佛」でした。 但し、「無」の字は旧字の略字体で書かれています。

 一番下の写真をご覧ください。全員で何とか持ち上げ、屋根も元通りに直した浦野家先祖代々のお墓です。 苔もすっかり落ちて、割れた石は針金を巻いて固定しました。100年以上もの長い年月を経て、当家のお墓が今よみがえりました。 倒れた状態の墓石を発見した時から思っていましたが、実際に起こしてみると、実に立派なお墓です。上から差し込んだ木漏れ陽がキラキラと墓石に当たると、 先祖の凛とした様子が浮かび上がってくるようです。墓石の上から日本酒を注ぎ、正面に座り、しばらく手を合わせました。

 ご先祖様、数世代にわたる子孫のご無礼をお許しください。住む場所は遠く離れても、当家は途絶えることなく、 ご先祖様の血を引く子孫は皆一生懸命に生きています。

 墓石の修復にあたり、小坂様と寺井様には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

 午後は、まだ謎に包まれている当家の本籍地の住所にあたると想像できる場所を色々と回ってみました。 おそらく等覺寺へ向かって坂を降りる道がある横山の丘の頂上付近か、等覺寺の東側の外浦に面した辺りのどちらかであると思われます。 両方の場所を実際に歩いてみましたが、外浦に面した場所は崖がせり出して、今でこそ堤防がありますが、そうでなければ、 とても人間が住めるような場所だったようには思えません。それでは、やはり丘の上に住んでいたことになるのでしょうか。 この問題は、まだ解決まで時間がかかりそうです。
 その後は、飯田町へ行って、引き続き、珠洲市立中央図書館で資料収集を行いました。 今日は書庫にしまわれている郷土史などの書籍を見せてもらいました。


                       

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